<<かなり適当な説明>>
原作は、黒沢明監督の『七人の侍』となっている。
小学校の頃に、親と一緒に見た覚えがあるのだが…
大筋くらいしか覚えてない(爆)
“野伏の略奪に困った村人が、七人の浪人を雇って野伏に対抗する”という話で、いわゆるチャンバラ映画だった。
チャンバラ以外に記憶がないぞ(爆)
『SAMURAI7』も基本は同じなのだが、SF版としてのリメイク?なので、大筋は『七人の侍』なのだが、和風の『スターウォーズ』っぽいところもある。
規模がちっさいけど( ̄▽ ̄)
サムライ7人についての細かい設定については、原作を全然覚えてないので比較しようがないけど、“シマダ・カンベエ”に関しては、三船敏郎さんを意識してるであろうな〜という感じはある。
人を機械のサムライにしたり、要塞が空に浮かぶなどの科学力は凄いのに、基本的な生活においては一昔前のような感じで、ギャップが面白いというか。
カンベエのファッションは、『スターウォーズ』のオビ=ワンを思い出すわ〜。
大戦から5年後。
復興しつつあるその国で、サムライは無用なものとなり、厄介者扱いされていた。
敵も味方も生き残ったサムライは、各々生き様を変えつつも、“サムライ”であることの誇りである刀を捨てることが出来ず、己の生きる場所を求めて彷徨う。
中でも強い力を求めて機械の体になった、既に人ではない者達の居場所は皆無といってよい。
自らの肉体を捨ててまで力を求めたゆえか、厄介なほどプライドが高い。
というよりも、元に戻る方法がないためにサムライであることに固執しているのかもしれないが…
機械のサムライはノブセリとなり、戦で焼かれた大地を必死で甦らせようとしている村を襲う。
神無村もノブセリたちが無茶な年貢の要求に耐えてきたが、何とかノブセリを退治する方法をと考えた結果、町に溢れる食いっぱぐれのサムライを使うことを思いつく。
目には目を。毒には毒を。サムライにはサムライを。
水分りの巫女であるキララとその妹のコマチ、ボディガード?のリキチと共に虹雅峡へとサムライ探しにやってくるが、なかなか腕の立つサムライが見つからない。
米泥棒を捕らえてくれたカツシロウも巻き込んで、サムライ探しを続行する内、立て篭もり事件に遭遇。
そこでキクチヨとカンベエに出会った。
カンベエこそがとノブセリ退治を頼んでみるが、大戦において負け戦を経験している彼は、彼等の頼みを断り続けていた。
しかし、虹雅峡のアキンド、アヤマロの息子=ウキョウが絡んできたことで、結局はノブセリ退治を引き受けることとなり、敵味方、素人も混ぜて何とか7人のサムライが集った。
腕の立つサムライが揃ったとは言え、相手は機械で武装したノブセリ。劣勢なのは目に見えていた。
村人の訓練も行い、知恵を使って何とかノブセリを倒したは良いが、実はその背後に“都”が存在していることが明らかになり、村人の依頼を遂行するには、都にも刃を向けることとなる。
誘拐された女たちを連れ戻すには、都へ行かねばならない。
カンベエは、傷付いた仲間を神無村に残し、単身都への潜入を試みるが…
後は、公式サイトへ行くか、本編を見てくだされ( ̄▽ ̄)